2013年8月15日木曜日

戦前から日本の国民性の本質が変わってない。

http://heavy1tokyo.blogspot.jp/2013/08/blog-post.html

http://heavy1tokyo.blogspot.jp/2013/07/blog-post_18.html

前のブログの続きです。

「なぜ、アジアの人々は日本に不満をもつのでしょうか?」 杏林大学須之部教授 「アジアの人たちの多くは、日本や日本人が戦前と少しも変わっていないではないか、と思っている。そこから色々な不満や警戒心が生まれてくるんですよ。しかも不幸な事に、戦前と少しも変わってないことに日本人自身が気付いてない。」 

 日米開戦勝算無し NHK取材班 角川文庫

これを引用させてもらったんですけど、そして丁度終戦記念日の今日色んな記事やツイートを見てちょっと司馬遼太郎さんが言っていた日本人の「自己リアリズムの喪失」併せて上記のことがもっと分かって来た

パラドックスなんだけど、マジで俯瞰を失い感情的、楽観的って意味で日本や日本人の本質が戦前と少しも変わってないかもって

要するに例えば、太平洋戦争特に日米開戦において、楽観的、感情的に勝算無しに戦争をはじめた大本営、軍部、官僚の性質と9条の改憲によって平和主義、戦争の放棄がなくなる、そして日本が誇る平和憲法じゃなくなる、やばい戦争反対!って草案読まずにバカみたい言ってる人の性質が根本的に類似してるんじゃないかなって。
もっと言えば、ポツダム宣言をつきつけられ、根拠もなくソ連との和平工作を楽観的に信じきりそれを黙殺し続けた結果、広島長崎に原爆が落とされてしまった歴史的事実を招いた日本(無能な大本営)の判断の本質と、今の日本人の何か災いがあれば祭りのように騒ぎ出すも、意味不明な感情に訴える持論を展開して大事を先延ばしにする楽観的で短絡的で感情的な本質が一緒だってことです。

今の日本人も戦前の日本人も完全にリアリズムが喪失している。








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